破滅的な飲酒は、寂しい心が消えるわけでも、何かが解決するわけでもない。ネットで喚いて終わった。なにかが解決していたのならばわたしは昨日、冷たい床で仰向けになんかなっていないんだ。結局しんどいし、人を傷つけてしまう可能性がある。わたしからインターネットを取り上げるべきだ。
引きこもりっぱなしに飽きて人に会いたくなり、久しぶりに東京に行った。写真の予定や友達と酒を飲む予定を作って人と会ったら、ぼやけた輪郭を少しだけ取り戻せた気がした。
東京の街は全てが大きく光り、みんな、わたしのことを知らない。エスカレーターは左側、雑踏の中ヘッドフォンで最近お気に入りのlilbesh ramkoとスーパーカーを繰り返し聴きながら歩くとずいぶんと楽になった。わたしがわたしを避けるのをやめた。それでも夜は寂しくて、泣きながら友達に電話をしたりした。寝付くまでずっと、うんうん、って話をきいてくれた。とても弱虫だ。
大阪に帰ってきた。本来なら自分の暮らす街のことを愛するべきだと思うのだが、わたしは今の街のことも地元のことも好きじゃない。どうしたらいいんですか?
どこにいても、どこで暮らしても、ずっとなんかさみしい。自分の部屋が好き。誰にも邪魔されない、誰もわたしを傷つけない、自分だけの部屋が好き。理想がわたしの目の前にある。理想の夜がある。
どうしようもなく、泣き喚き、罵り、汚い言葉を叫びたくなる。この世を全部、敵にまわして、そのまま消えてしまいたい。悲しさや憤り、妬み、絶望、人生への落胆。そういった醜い感情が混在して、皮膚のすぐ下や、内臓のすきまなどを、虫のように這いずりまわる。
消えることができたなら。でも勢いに任せて口にする言葉は、鋭利で、どこまでも鈍く響き続けてしまうのを知っていた。はち切れそうになるような胸の痛みや、意味もわからず溢れつづける涙、眠れないまま何度も目にした明け方の薄い青色。好きだった。
うれしかったことだけをなるべく思い出す、友達が化粧を変えたことに気づいていいねって言ってくれたこととか、好きな人と長電話をした時のこととか、いきいきと生きてたときのこととか。だから。諦めたくないんだよね、人生。でも昨日の夜、母に「生きてるのが辛い」とこぼしてしまった。こんなこと、絶対に言ってはけない人に絶対に言ってはいけない言葉を当てつけて、わたしは最低だよ。ごめんなさい。
最近はずっと死んでるみたいに生きていた。でもちょうどいい紐なんて待っていなくてさ。処方されたお薬を用法容量守って飲み、身体と脳みそを動かす。普段通り仕事に行って帰り、駅のホームでたまに、あ。もう本当にどうでもいいかもって、意識が遠くなって、電車に飛び込んじゃおうかな、って思うときがある。でも怖くてできないんだ。なんて冗談みたく笑っても、それが冗談じゃないことがバレてしまう。
わたし、人とおなじ世界で立ちたい。辛い時ほど開けなかった新着メッセージ一件、開くともう無くなってしまうのではないかと思った。出られなかった着信、心、痛い。痛かったよね。わたしのわたし自身の可愛くて大好きなそのへらっとした笑い方が、鏡に映って、余計にどくどくと不安にさせた。
寧子には津奈木がいてずるい。 人を好きでいることや誰かとの関係性に決まった形なんてないから自分が思うように愛せばいい。他人の勝手なああだこうだには目もくれず、人を愛し愛されているのを感じるとわたしはとても幸せになる。
歪でも生きてかなきゃいけないんだってね。